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12世紀以降のイスラーム圏では、煉瓦造りのモスクや宮殿の壁面を雨風から守るために幾何学模様やラスター彩などを施したタイルで覆います。その後、イスラーム教とともにスペインに伝わったタイルは、錫釉色絵という新しい加飾技法で作られるようになり、地中海のマヨルカ島を経由してイタリアに伝わり、さらにフランス、ドイツ、オランダへ広がります。大航海時代と呼ばれた17世紀のオランダでは、東西交流の中で中国や日本の染付磁器に影響された白地藍彩のデルフトタイルが生まれます。18世紀末になると、イギリスで起こった産業革命によって装飾性豊かなタイルが機械で大量生産されるようになり、植民地政策とともに世界中に広まりました。「世界のタイル」の歴史古代エジプトでBC2650年ごろに建てられたジェセル王のピラミッド地下空間の壁は、トルコ石ブルーのタイルで覆われていました。このタイルは、「エジプト・ファイアンス」と呼ばれ、世界最古のタイルと考えられています。王の魂が宿る空間を装飾するために生まれたタイルは、水や火に強い特性から数千年の時を経て世界各地に広まります。「日本のタイル」の歴史日本には6世紀に大陸から仏教とともに瓦が伝わり、鎌倉時代ごろから屋根のほか、床(敷瓦)や腰壁(腰瓦)に用いられました。しかし、木造が主流の日本建築では、寺社仏閣の床や城壁、土蔵の外壁などにわずかに用いられただけで、江戸時代までは広く普及することはありませんでした。大きな転換点を迎えたのは、文明開花により来日した外国人建築家が欧州から輸入タイルを玄関床や暖炉周りに用いたことに始まります。ほどなく国内でタイルが作られるようになり、イギリスの複製から始まった国産のマジョリカタイルは、洋館邸宅のみならず銭湯、温泉、遊郭、店舗などの公共空間にも使われました。また1923年の関東大震災により、それまでの煉瓦建築が鉄筋コンクリート造に置き換わる中で、外壁の表面に煉瓦調の意匠を持ったタイルを張る手法が発展します。コンクリートの保護という機能も兼ね備えた外装タイルは、煉瓦調だけでなく様々な意匠や形状へと発展し、日本独自のタイル市場を築きあげます。その過程で発生した白華や剥離などの問題においても、張付け工法の改良が重ねられており、外装タイルは技術革新の歴史を刻んでいったといえます。タイルの歴史エジプト・ファイアンス・タイルサッカーラ/エジプト紀元前2650年ごろ織部炉台日本17〜18世紀(江戸時代中期)多彩草花文レリーフタイル日本20世紀前期(大正~昭和前期)白地多彩幾何文クエンカタイルスペイン15世紀白地藍彩チューリップ文タイルオランダ17世紀ラスター彩星形タイルと青釉十字形タイルイラン13〜14世紀4
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やきものの街、常滑で代々陶芸を生業としてきた伊奈家の五代目を継ぐ初之烝は、明治35年から土管製造業を始め、明治43年には国産初のモザイクタイルを発表しました。大正5年ごろに乾式プレスを用いたタイル製造を手掛けていた初之烝、長三郎親子は大正7年に、巨匠建築家フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル二代目本館(ライト館)を建築するため常滑に作られたホテル直営の「帝国ホテル煉瓦製作所」の技術顧問に就き、400万個ものスダレ煉瓦やテラコッタの製造をけん引しました。大正12年に発生した関東大震災でも倒壊しなかったライト館に用いられたスダレ模様の意匠は、スクラッチタイルとして今の時代も使い続けられています。大正11年に役目を終えた煉瓦製作所の従業員と設備を引き継いだ伊奈親子は、「これからは建築陶器の時代が来る」と大正13年、伊奈製陶株式会社を設立します。100年以上も前から始まったタイル生産の技術は、内装用の半磁器タイルやタペストリータイル、ラスモザイクなどの新しいタイルを開発し、1985年に社名変更したINAX、さらにはLIXILとなった今でも、タイルやテラコッタを作り続けています。受け継がれてきた技術は、木造住宅向けの「ベルパーチ」(1988年発売)や「はるかべ」(1995年発売)など、現在も外装壁タイルの主力となる商品に応用されています。「INAX」と「タイル」外装から内装・床まで住宅全体で使用されるタイル北西側上層部ディテール内部籠柱【博物館明治村】帝国ホテル中央玄関(二代目本館)中央玄関室内【東京駅丸の内駅舎】西側全景5
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