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ステンレス流し台が変えた日本の暮らし。「深絞りシンク」プレス加工深絞りが成功したときの試作品。底面をハンマーで叩いて割れがないことを確認した跡がある。後藤「今日は、水まわりの変遷を語りたいのですが、まずキッチンから始めます。日本のキッチンが大きく変わったのは1950年代、公団型流し台の登場ですね」柏木「それまでは、調理場は北側の暗いところ。冷蔵庫がない時代だと食材を日陰に置かなければいけないし、火の粉が飛ぶから土間だった」白井「もともと日本の家屋は畳敷きが中心であり、上水道が普及するまでは井戸水を利用していた地域も多かったため、水まわりは自ずと家の出入口など内と外の中間に配置されていたわけです」後藤「それが日本住宅公団(以下公団)の誕生で、限られた空間の中で食事と就寝の場所を分ける食寝分離が進み、調理と食事を1セットにした間取りDKが生まれました。そしてそのキッチンにLIXILの前身の一つであるサンウエーブのステンレスの深絞りシンクが設置されました。ちゃぶ台からテーブルとイスによる生活に変わった瞬間です。ひとつのシンクが住空間とライフスタイルに影響を与えたのです」公団に採用された、深絞りシンク。柏木「大卒初任給1万円台の時代に、ステンレスシンクの市場価格は1台5万円程度で非常に高価だった。それを溶接せず一体成型で作ることで6千円台にしたことで日本中に広がっていったんですよね」後藤「サンウエーブの技術者たちが寝食を忘れて技術開発をし、コストを下げ、品質を上げたんです」白井「シンクほどの深さまで一体成型でプレスしていくことは非常に難しい技術です。四角に近い形にプレスすると、コーナー部にストレスがかかり亀裂が入ってしまう。昔の車の多くが丸いフォルムをしているのも、深くプレスしていくことが難しかったからです。これほど難しいプレス成型を実現させるには途方もない苦労と多くの工夫があったと思います」後藤「深絞りシンクの完成を喜んだ当時の公団の総裁が工場に訪ねてこられたと聞いています」プレス技術を開発し、量産化に成功。10
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高度経済成長期に浴室が変わった。左:「ポリバス」木製あるいはタイルが張られていた浴槽に対し、高耐久で低コスト、簡易施工性などの利点から市場を拡大。さらにホテル・マンションのシステムバス開発へ発展していった。/右:都市ガスの普及によって内風呂も普及した。年を機に、システムバスが普及。後藤「もともと銭湯は、都市計画の中でつくられました」白井「はい。銭湯は公共の建築物として計画的につくられていました。保養や社交の場、コミュニティでもあったんです。かつ、日本人にとって入浴は、単に体を洗うだけでなく、身も心も清め、疲れを癒す行為。銭湯は日本独自の文化を形成してきました。それが、内風呂にとって代わられたのです」後藤「内風呂が普及したのは、やはり公団の時代です」柏木「木の風呂、特に檜風呂なんて、いまや贅沢品ですが、FRP(ガラス繊維強化プラスチック)のポリバスになって相当に普及したんじゃないでしょうかね。あれは、いま見るとサイズがすごく小さいですね」後藤「むかしの木の風呂桶の大きさが、そのまま公団のサイズになったようですね」白井「バスタブだけでなく、横にボイラーを置くタイプもあり、間取りから考えると精一杯のサイズだったのではないでしょうか」ポリバスの登場で、銭湯から内風呂へ。柏木「2020年の前大会が開催された、1964年からシステムバスの時代が始まります。来日客が宿泊するホテルを急ピッチで建設するためには、工期が短く、高品質なシステムバスが必要でした」後藤「はい。INAXは1967年に量産を開始し、広く普及させました。日本は、もともとお風呂とトイレが同じ空間にないため、ホテルのシステムバスに私は最初すごく違和感がありましたよ」白井「それから50年以上が経ち、システムバスも浸透しましたね。その間、私たちメーカーは清掃性や快適性、さらには安全性や環境配慮など、人と社会のニーズに一つひとつ応える形で商品を開発してきました。最近では単なる機能向上だけでなく、仕事から疲れて帰ってきてリラックスしたいという情緒的なニーズに沿った機能を生み出し、価値を付加しています。その代表が、スパージュです。日本人が温泉や銭湯で体験してきた本質的な価値を追求した製品とも言えますね。50年前の方が見たら驚くほどの進化です」11
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